KAZU FUKUDA

KAZU FUKUDA
観葉音楽
Vol.11
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クラシック・キューバン・サルサ
2006年6月25日(日)

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ティルソ・ドゥアルテ
2006年6月20日(火)

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最近のキューバ音楽はつまらない!?
2006年6月11日(日)

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Calle Real
2006年5月14日(日)

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ティン★クーバ@札幌ハバナ
2006年4月21日(金)

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観葉音楽 By KAZU FUKUDA

観葉音楽 By KAZU FUKUDA

▲INDEX  
 クラシック・キューバン・サルサ

グルーポ・チェベレのカンタンテ岩村健二郎氏率いるユニットが1990年前後のコンテンポラリー・キューバンを演奏するという企画が先日ありました。

実際に音を聴いていないので演奏内容のコメントができないのですが、Disc Review にもたびたび登場しているティンバ創世記の貴重な音群を取り上げていて興味深いものがあります。

この当時のバンドを生で鑑賞体験できたのは、数少ない日本人ミュージシャンと何人かのキューバ音楽愛好家達。

ティンクーバでは 2001年に2回、2002 年に 2 回、グルーポ・チェベレのディレクターの一人、相川等氏を迎えて「トーク・ティンクーバ」という特別企画を開催し、ティンバが成立していくまでのサウンドの秘密を、音源を紹介しながら語ってもらっています。
相川氏のキューバ音楽に関する鋭い洞察は素晴らしく、本にして出版できる程の価値ある内容でした。

そして今回、同じくグルーポ・チェベレのボーカリスト岩村氏が上記のライブを企画したことを聞きました。
ついに1990年前後のサウンドがクラシックスになったのだという感じがしますね。
この企画を実行する資格があるとすれば、当時を生で知る人たちだけ。岩村氏は最適な人の1人でしょう。



演奏予定曲の情報にコメントを少し加えてみました。

「 Lo que siento es le lo ley 」
NG La Banda の 1998 年発表のセカンドから。ミディアム・テンポのキューバン・サルサです。ボーカリスト岩村健二郎には合う曲調でしょう。

「 Lola 」
ご存知、チャランガ・アバネーラの大ヒット曲。ミッチェル・マサのソロ作バージョンもあるのでどちらのアレンジで演奏するのでしょうか。

「 Que pasa loco 」
イサック・デルガードのセカンドから。ホセ・ルイス・コルテス作。これは当時日本のキューバ音楽ファンの中では、一緒に歌えるほど耳慣れた有名曲です。

「 Solo vivo por ti 」
Jacqueline Castellanos の作品から。オプス13のディレクトール、コンテンポラリィー・キューバン界の重鎮ホアキン・ベタンコー作の名曲。最高レベルの歌唱力をもつジャクリーンのナンバーをどう歌いこなすかが課題でしょうか。

「 Un tipo como yo 」
こちらも初期NG La Bandaのナンバー。ホーン・セクションのリフが聴き所でもあるのでそのあたりをどうアレンジするのか。

「 Son deseos 」
オプセ13、パウロ作のナンバー。ロマンティックなキューバン・サルサです。

「 Yo soy un hombre 」
パブロ・ミナレスの作品。イサックは彼の作品を数多く取り上げていますし、パブロ・ミナレスのバンドには、NG La Bandaのセカンド・ディレクトールのヘルマン・ベラスコが参加していました。そういう所からも、ヌエバ・トローバの超大物ですがキューバン・サルサ、ティンバ系とは繋がりが深いアーティストです。
 *追記*2006.6.29
実際に演奏されたのは、NG La Bandaの同名曲でした。
コロとの掛け合いが続くファンキーなナンバーで、日本発売の「Nueva Generacion」に収録されています。

「 Elige tu 」
ミッチェル・マサのソロ作から。ファンキーなナンバーで、パーカッションが活躍しそうです。

「 Fin de semana 」
アダルベルト・アルバレス 1988 年のヒット曲。憶えやすいメロディ・ラインの曲です。

機会があればこれらの名曲をどう解釈したのか一度演奏を聴いてみたいですね。


2006/06/25 
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 ティルソ・ドゥアルテ

ティルソ・ドゥアルテ、数多いキューバのミュージシャンの中でも
才能の埋蔵量は他の若手を遥かに凌ぐものがあります。

バンボレオを結成するために脱退したラサロ・バルデスの後任として
パチート・アロンソ楽団にピアノ奏者で加入してアレンジも務め、

その後、NGラ・バンダのホセ・ルイス・コルテスに、
歌もいけるんじゃないかとボーカリストとしても抜擢されます。

第二期となるチャランガ・アバネーラではピアノとボーカルを担当し、
作曲にも才能を開花、ヒット曲を手がけます。

ところが、チャランガを1作で脱退してプーピのオルケスタに移籍。
当時、ライブNO.1バンドの評判の高かった
オルケスタのフロントとして活躍し、
ボーカリストとしての評価を定着させます。

そして、アフロ・キューバン・オール・スターズや
数多くの企画アルバムにも参加。

2003 年にはエンビーディア・レーベルからソロ作をリリース、
そして今年2006年にセカンドを発表しました。

目まぐるしいほどの転進ぶりと活躍です。

ここまで書いてくると、このセカンド作は最高なはずですが、
残念なことに今回の作品はあまりよくありません。
曲、ボーカルどれもクオリティは高いのですが、何かがたりません。
エンビーディア・レーベルの
一本調子な演奏とアレンジにも閉口しますが、
ティルソならば、それを乗り越える力は充分にあるはず。

多分、彼は自信がありすぎて「音楽の神が突如降りてくる」というような
自分だけでは作り得ない偶然やタイミングを感じていないのでしょう。
音楽はスタジオだけではなく、ライブやオーディエンス、
そして他のミュージシャンからインスパイアーされて
素晴らしいものが突如出現することがあります。
そう考えると彼には
別の見方ができるプロデューサーが必要なのかもしれません。
いずれにしてもエンビーディアからは離れた方がよいでしょう。



2006/06/20 
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 最近のキューバ音楽はつまらない!?

最近のキューバ音楽はつまらないと感じている諸兄が多いこの頃。

この人達は1996 〜2001年の5年間にキューバ音楽を突っ込んで聴いていたのでしょう。
それまで試行錯誤を続けていたキューバ音楽が爆発的に進化し、傑作アルバムが立て続けにリリースされていた時期ですから、この頃と比較すると現在は面白くないのは明らかです。
考えてみると当時が異常で、今が普通なのです。

また、その頃はインターネットも今ほど発達していなかったので情報量が極めて少なく、
ファンは死に物狂いでキューバ音楽の情報を探していました。
そのなかで、ファン同士が親密な繋がりを持っていたのも事実。
キューバ音楽ファンは皆顔見知りくらいの関係でした。
日本には全く知られていないとんでもない音楽が、限られた人だけのものだった訳です。

2001年以降、キューバの経済開放と同調して、ミュージシャンの海外移住、亡命が増えていきます。
そしてバンド・メンバーも不安定になって、CDリリースも激減。
明らかにここ5年間はその前の5年と比べるとキューバ音楽 (ティンバ) はだめになっていると言われてもしかたがない状況になりました。
また、現地の流行がティンバから他のジャンルへ一時的に移行した時期でもありました。

逆に日本では、インターネットでの情報量が増大し、キューバ旅行も特に珍しいものではなくなります。
在日キューバ人も年々増えて、キューバン・サルサを踊る人やキューバン・サルサ・パーティも増えて行きます。
また、チャランガ・アバネーラ、マノリート、ロス・バン・バンの連続来日も大きく影響して、日本の「キューバ音楽ファン」はここ5年で数倍になったのではないかと思うほどになりました。

音楽が一般化していくときは、美味しいスープが水で薄められて量だけが増えていく状態のようなときなのかもしれません。

ここでティンクーバ・コーディネイターとして思いかえしてみると、実はTIM★CUBAはキューバ音楽の絶頂期ではなく、停滞期に入る間際の2000年6月にスタートしているという事実に気が付きます。
それまでは最新のキューバ音楽が最高のものであったのですが、
この頃から以前の方がよかったといえる作品ばかりになって行きます。
TIM★CUBAがキューバ音楽をただ紹介しているだけのイベントならばスタートの1年でネタ切れになり、ティンバと共に失速したでしょう。

ところがその後もTIM★CUBAがしっかりと続いてきたのは、
ティンバの持つエッセンスを広く世界から抽出し再加工することや、ソンから始まるキューバ音楽のルーツを見据えて、HPやイベントとして提示してきたからなのだと自負しています。

良い耳を持ったキューバ音楽ファンに納得し、楽しんでもらえるサイトとDJイベントがティンクーバの目指すところ。
それは、キューバ音楽が今後、世界に拡散していく中で極めて貴重な存在になるだろうと感じています。


2006/06/11 
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 Calle Real

キューバの外側からまた衝撃的なバンドがデビューしました。



その名は Calle Real。

拠点はスウェーデンのストックホルムとのことですが、
メンバーの出身国の詳細は定かではありません。
もしキューバ系の人が1人も参加していないのであれば
かなりの高得点でキューバのもつグルーヴを
生み出しているといえます。

キューバ国内のティンバ・シーンから、
新しいアレンジ、新しいテイストを
創ることに成功している新人バンドがここ数年出てこない中、
昨年の PVC や Latin Dance Band に続き、
また国外から「 新しいティンバ・サウンド 」が
登場してしまった訳です。

メロディがややマイナー調でラテン特有のサボールに欠ける、
アフロな黒さがないなど
欠点を探せば幾つかあげられますが、それも個性のうち。
1つ1つの音はキューバそのものではないのですが、
全体で聴くとまさにティンバのグルーヴが出現しています。

キューバ国内では
もう新しいティンバ・サウンドは出てこないのでしょうか。
まだまだ期待をしたいのですが、
これからは国外のキューバ人による
ミックス系ティンバの時代になるような気がしています。

日本のバンドでは、
グルーポ・チェべレが唯一、キューバの外側の立場で
ティンバの新解釈の実現に成功していますが、
他は真面目すぎるのか、
現地サウンドの再現で四苦八苦している状況です。
現地キューバの真似が最終目標ならば、
キューバ人に一生追い付けないということに
気が付いている人が少ないのでしょう。

ティンクーバのコアなファンには、
そのことに気が付いている人が多い気がしています。
なぜならば、現在のティンクーバはまさに
キューバの再現が最終目標ではない、
そういうタイプのイベントだからです。


2006/05/14 
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 ティン★クーバ@札幌ハバナ

札幌ハバナに僕が初めて訪れたのは10年以上前。
そのころは現在の場所ではなく、
「すすきの」の、少しはずれにありました。

今でもその店の様子が瞼に焼き付いています。
女性DJがキューバン・サルサを次々にかけ、
スタッフの女の子がカウンターでシントゥーラしていた光景。
パーティーが終わりかけていた時に店に入ったので、
打ち上げに合流、飲んで語って、2次会に流れて
ついに空が白けてきたことを思い出します。

梶原さんと意気投合して
キューバ音楽の義兄弟のような関係になりました。
もちろん、
プロモーターであり店主でもあるプロの大先輩なのですが、
キューバ音楽への愛情に通じるものを感じていたのです。

そして2000 年、
既にキューバンを中心に
ラテン・DJとして実績を積んでいたDJ KAZURUと
TIM★CUBAスタートしたとき、
僕のモチベーションの中に
札幌ハバナのような店を
イベントの時だけ出現させようという気持ちがありました。

そして2006 年、
大きく成長したティン★クーバが
札幌ハバナに凱旋里帰りを果たしたのです。
今回はティン★クーバの歴史の中でも、
印象にのこるイベントになったばかりか
新しい試みをしたことで、
いろいろなきっかけをつかむことが出来ました。

これからティン★クーバは
さらに進化をとげていくことでしょう。


2006/04/21 
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▼観葉音楽 Vol.10

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