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この数ヵ月話題になっている
文芸批評の問題に、ちょっと
夢中になってしまいました。
朝日新聞に掲載された
自伝小説の評論の内容は
批評家が誤読の結果、あらすじを
捏造している、それにより
作家の田舎の母が父を虐待してたと
誤解されるてしまうので
訂正記事を載せろと
作家が言い出した件です。
これは、鴻巣(批評家)×桜庭(作家)論争
となって
SNSで燃えた案件ですが、私は
両者の意見が並列して載せられた
後日の新聞記事で知りました。
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紙面の印象として
人気作家は新聞で
批評に対して反論文を載せる機会を
持てるんだなあ、部数の少ない
作家ではこうはいかないだろう
ということを、まず思いましたが、
そうまでしても
反論したいことだったのでしょうし
また、それに対して
批評家が心ある文章でこたえたように
思えたので、決着とは言えないまでも
これで終息するかな?と思いました。
両者の対立以上に気になったのは
当の朝日新聞が、この論争に
なんとも曖昧な態度というか
「批評はこうあるべき、これこれが
朝日新聞の方針である」
とはっきり明示しなかったことです。
大きな新聞社でもこの体たらくかと
その煮え切らなさが嫌でした。
「読みは自由」
と
「あらすじの間違った要約」
は
別物であることを作家は訴えているのですが
結局文芸批評がその点を
曖昧にしてきたことも問題なのです。
で、10月に入って
桜庭サイドが事の顛末を
綿密にかいた「キメラ」を文芸誌で
出したわけですが、これまでの経緯が
時系列に沿い、あまりにも詳細に
記されていることにびっくりしました。
作家は朝日新聞の対応に納得できず
結局、これを書いたわけです。
色々見えてくることがあって
大変興味深く読みました。
これを読まなければ作家が
なぜ、こんなにも訂正記事に
こだわったかの理由はわからなかったでしょう。
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この中に、田舎における
大新聞の影響力について
記述がありましたが、それは東京生まれの
者には想像できないくらい重いものらしい
ということが書かれており
ハッとした次第です。
だから、新聞に訂正させることは
SNS上の議論など目にすることのない
田舎の人々に向けて発信するために
是が非でも必要だったと。
他にも女性であることの問題や
文芸サロン共同体が村化してる問題など
ああ、そうだったのかと
思うことばかりで、本当に
色々と考えさせられる文章でした。
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「従わないなら、出ていけ」
という場所に対して
「従わないないし、出ていかない」
という作家の強い意志。
こうした問題が起きたとき
「傷つけたのならごめんなさい」
と、情緒で返すことは意味がなく
問題の本質を明らかにして
何がまずかったのか、向き合うことが必要です。
わたくしも自分のなかに
気持ちで汲み取ることが誠実性のように
なってしまうきらいがありますが
それでは何も変わらないのです。
作家側からの丁寧な心情説明の
結果、私は
「自由に読むのが小説のよさ、しかし
批評は慎重に、丁寧になされるべき」
と、今思っています。
書店員のポップで
本が売れるのは悪いことではありませんが
本来文芸批評は作家の作品と
人生に責任がとれるものでなくては
いけないのです。
相撲の立行司は、勝負の判定を
差し違えたところで
切腹はしませんが、それと同等の
責任をおう、という意味で
切腹用の刀を脇に差しています。
素人さんがSNSで書いた感想
(私が自分のウェブサイトで書いてるものも含め)
と
講読者の多い新聞に載る批評は
重みが違うはず。
そうであってほしいものです。
DJ KAZURU
いつも読書の手引として、拝読申し上げております。
批評と感想の線引が責任であることをつまびらかに明示された、多くの人が読むべきエントリーだと感じました。
八島さま。誰も読んでないような気になってましたが私のコラムを読んでる人がいるんですねえ、ありがとうございます。疫病蔓延以来読書が進みますね、桜庭鴻巣問題は本当に考えさせられる出来事でした。
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