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美しいキモノの2022秋号にて
森田曠平の「老妓」が取り上げられていまして
その酸いも甘いもくぐり抜けてきた
迫力の表情をした
吉原芸者の絵を観たい!と
思ったのでした。
三十年前に国立劇場の廊下に
飾られることになったというこの作品
しょっちゅう通っているわたくしの記憶にはなく
岩下尚史氏によると
「今は藏のなか」ということでした。
インスタグラムのやりとりで判明したのですが
こうした疑問をものをよくご存知の方に
教えていただけるのですから
SNSもバカにしたものではないと
つくづく感じます。
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さて、この絵のモデルである
吉原のせい子。
銀座の東哉の主人が幇間の玉介を
間に立てて、料亭金村に呼び出された岩下氏の
お座敷にいたそうですが、そのやり取りの
洒脱なこと!
着物雑誌でこんな面白い花柳界の話が読めるとは
嬉しいことです。
芸者というとまずは踊っている姿が
我々には思い浮かぶものですが
本来三味線の弾き唄いで囃すのが
東都花街の型であったとか。
明治の末に新橋で京都スタイルを真似て
舞を出したら三井系の財界人にウケて
定着したそうですが、吉原だけは
花街宗家のスタイルを守り続けたということです。
そういえば
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の
舞台で吉原から横浜にながれてきた
芸者役の玉三郎も、三味線は弾いてましたが
踊るシーンはなかったような気がします。
毎回伝統芸能や花柳界の
裏話が読める連載「東都風流」
ありがたいですね。
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その流れで
桜川忠七の本も再読しましたが
吉原の地図にちゃんと金村もありました。
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今は桜なべ中江別館金村、として
一棟貸し切りの営業をされているとか
いちど行ってみたいものです。
DJ KAZURU
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