デビッド・スーシェのドラマシリーズ
ポワロが大好きです。
ポワロ役を引き受けるにあたって
アガサ・クリスティの原作を読み込み
そこからポワロのみため、好みやクセ
なまりのあるイングリッシュなどを
細かく研究しノートを作り
スタッフと戦っても、原作イメージに沿った
服装と髭などを貫いた
デビッド・スーシェって素敵ですねえ。
アガサの娘夫婦の意見も
損なわないように気を使ってるし
聖書、シェイクスピア作品についで
全世界で読まれている有名作品の
主役をやるんだから
間違いがあってはならない、という
意気込みが感じられます。
2024年1月は
ドラマ制作側と折り合えずに
試行錯誤した結果、自殺してしまった
漫画家のことで日本はどよめいたものですが
余波はまだ続いておりまして
次々に、漫画家が
自分も同じ目に遭った、と
映像化の際に自分の作品が
自分の意志に反して曲げられたことを
訴えでています。
デビッド・スーシェは
ポワロの人物造形にあたって
屋外のベンチに座るとき
ポワロならハンカチを敷く、と
確信して演技に取り入れたものの
演出サイドから
「視聴者に頭が変だと思われるぞ」
と指摘され
「これはポワロなら当然やったはずのこと」
と、
両者引かずにモメたと書いてあります。
そして、そのシーンは
結局カットされたそうですが
現在我々ドラマシリーズのファンには
汚れていそうな場所に座らなければ
ならないとき、ハンカチをしくポワロは
脳裏に焼き付いています。
回を重ねるごとにデビッド・スーシェの
ポワロ像が制作側にも受け入れられたのでしょう。
結果的に、原作からイメージされた
ポワロ像をつらぬいた
演技が賞賛されたわけです。
世界中で何年経っても
クリスティの原作も読まれ続け
ドラマシリーズのポワロも愛され続け。
こうした事例もあるのですから
死んでしまった漫画家の魂魄は
この世にとどまりて
叫び続けているやもしれません。
・・・
ポワロに思いやりがあるのは
アガサがそう書いたのであって
私ではない。
ポワロが女性に対して
常に丁寧で礼儀正しいのも、使用人や
給仕人に体して魅力的で優しいのも
アガサがそうさせたのであって
私ではない。
ポワロがたまに誤った表現をする
ーーそして
ヘイスティングスに直されるーーのも
ときに友人の悲しみを鋭く察知するのも
アガサが考えたことであって
私ではない。
私がしていたのは
ポワロというキャラクターを
世に伝えることであり、それが
私の仕事ーー原作者と脚本家に
尽くすことーーだった。
・・・
DJ KAZURU
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