増田小夜 著
「芸者」拝読。
この人は作家ではなくて
自分の半生をつづったものです。
昭和元年生まれの著者は
長野の極貧で
物心ついたときは子守りをしており
残飯しか食すことはできず
布団も与えられず、折檻をされ
頼れる人もない有り様。
その後芸者に売られますが
教育は全くうけておらず
食べられる、着物が着れる
だけで安堵の方が強かったようです。
ここでも女将による折檻はつきまとい
大怪我もしますが、19才で妾として
ひかれています。
当時太平洋戦争まっさなかですが
あまりそういった記述がないのは
金で彼女を買った旦那が
生活の面倒を見てるので
日々の暮らしが困窮しなかったからなのだと
推察されます。
戦中といってもそれぞれの暮らしが
あったことが分かります。
その後「恋」をはじめて知ったこと
生き別れの弟との再会などがあり
清く生きたいと思うようになり
著者は妾生活を捨てて
これまでの生活と決別します。
そうなると戦後間もないですから
途端に食べるにも困り
身を粉にして駆けずり回り
餓えをしのぐ生活です。
病気を苦にした弟の自死を
乗り越え、子供たちの助けになりたいと
料理屋の仕事の合間に
読めない本を買い求め子供たちに
与えるうちに、じぶんでも
物語を作ります。
人間の生きていく上での不条理と
希望がない交ぜになった物語は
作中で読めます。
ひらがなを一生懸命おぼえ
ついにはこの半世記を
かきあげたということですが
その執念にたじろぐばかりです。
著者は生まれながらに
世の中のしわ寄せ部分にどっぷり
押し込まれたような存在ですが
30歳を越えて心から人間らしく生きたい
誰のおもちゃになるでも
奴隷になるでもなく、生きたいと願い
見事に
思い出したくもないような、と
こちらからは感じる過去を
文章にしたのです。
このパワー。
石井妙子氏は
文章の技術など、彼女の熱い思いの前では
無力だと言っています。
そのとおりなんです。
「文を書く人」は数多いますが
何のために書いているのか、を
見失っている人も多いでしょう。
編集者は、ときには
めちゃくちゃな感じを使ってしまう
彼女の文を勝手に訂正することはせず
このかたちになるまで
付き合ったということですが
それも立派ですね。
学問することを禁じられた
女性の歴史としても、また
人身売買がどのように
女性の価値をおとしめてきたか、など
色々な側面から価値の高い本でした。
著者が自殺し損ねたときに
助けた老人(脱獄経験のある
共産党員だったとか)の言葉も、きちんと
書かれています。
···
人間自分のことだけを考えているときが
一番不幸なんだよ。
一生に一度でよい
人のために尽くしてごらん。
ともかくあと一年だけ生きてみなさい。
その一年に一度だけ人をよろこばせて
それでどうしても死にたければ
またここおにおいで。
そのときは、お前さんが
楽に死ねるように手伝ってやろう。
···
こういう一言で
自分を変えられる、絶望から
生き直せた著者はやはり
とんでもないパワーの持ち主であったと
思うのです。
DJ KAZURU
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