「幇間の遺言」
悠玄亭玉介が晩年入院して
その頃に聞き書きされたものです。
幇間こそ完全に絶滅した存在で
令和も一応見番に登録された
幇間はいるようですが、なにせ
幇間を必要とする人たちがいない。
これは江戸の名残を知り
芸者、花街の隆盛を知り
真の遊び人たちのお供をして回った
最後の目撃者の話と言ってもいいかも。
1994年に、87歳で亡くなっていますから
平成の最初まではこういう人が
いたってことですね、今とは
遊ぶということの常識も内容も
まったく違う時代ということに
なっちゃいます。
いつものように
武勇伝をひとしきりやったあとに
思い出の歌舞伎役者と噺家たちの
エピソードが出てくるんですが
玉助が子供の頃の
芝居小屋の思い出が多いから、我々は
観たこともない「菊五郎」や「仁左衛門」の
が登場してきます。
巻末に系図がまとめて出てくるので
なんとか分かりますが、そんな昔の役者を
実際に見てたのか、と驚きました。
結局物心ついたときから
芝居の影響もあってどんどん
芸人の方向に来たということでしょう。
落語出身の人ですが
芸事が得意だったようで
常磐津やら清元やら
しっかり身につけていたようです。
玉助がいう遊び上手の
お大尽エピソードとしてよくあがるのが
吉原行っておつきの人から幇間にまで
女を一人一人にあてがって
自分は本宅に帰っちゃう、とか
また
池に飛び込んでこいと言って
着物が全部にだめになっちゃうことを
させて、後日上等の着物を送ってくれる。
とか色々あるんだけど
はっきり言ってお金の無駄遣い。
一つのところに富が集中してて
その富の使い方を教えてあげるのが
幇間の仕事なわけです。
その後
豪気な客もいなくなり
富の集中が減ってみんな中流に
なったのかな、という気にもなりましたが
令和の時代になって、もはや
日本人みんな貧乏ですもんね。
芸者に金を出す人もいないんだから
幇間なんて生き延びれるわけないです。
役者の声色で盛り上がったり
楽しい遊びだったと思いますけど
歌舞伎座に通い詰めてなきゃ
役者の声色なんか分かんないんだから
この遊びについてこれる人も、いまや
絶滅寸前ですね。
DJ KAZURU
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