
2013年から2014年にかけて
発表された短編
黒川創「京都」拝読。
京都、というタイトルで
被差別部落と在日朝鮮人の
話が主だとは誰も思わない気がするけど
京都において、差別されてきた側の
人々の日常をすくい取ったような作品集。
朝鮮の農家で育って貧しさから
日本の西陣に渡った者は多く
子守や織り子の下働き。
京都弁を同じように喋っていても
賃金は低い。
そういうようなことが
具体的な地名とともに
淡々と書かれる。
彼らの末裔は日本で生まれ
街に溶け込んで
暮らしているようでも、どこかで
異質と扱われる。
そういうエピソードが
連なる短編集です。
江戸時代の地図を印刷することになったとき
「非人小屋」と書いてあるところだけ
消せないかなあと相談された印刷屋は
歴史上存在した差別、それがあったと
書くこと自体が差別になるということに
疑問がぬぐえない。
だったらアメリカで奴隷差別が
あった、と公にすることも差別になるし
日本で士農工商があったということも
差別発言になってしまう、と悩むのです。
皆川博子が真継伸彦の「鮫」を
紹介した文章で
非人と呼ばれるような人が
存在する世の中は、確かに
間違っているけれど
現実に存在した人たちの苦しみに
蓋をするな、と主張し
「鮫」が絶版になってる事情に
切り込んでいたこともあって
出版業界はあってはならないことは
無かったことのように修正していくものだと
私も考えていたので
この「京都」、よく
出版できたなあと思いました。
有名神社や、はんなり舞妓はあくまで
京都の一面、それだけではない
この土地の姿を少し知ることができたような
そんな気持ちになりますね。
・・・
江戸時代、このあたりの地域は
「柳原荘」と呼ばれていた。もとは
鴨川西岸の五条橋下流にあった六条村が
さらにもう少し下流、この
七条通り以南の柳原の地に移転させられたのは
十八世紀初めのことだった。
六条村は、皮革業と犯罪人の処刑や
捜索にあたる警吏役を主な生業としてきた
村だった。
この身分を秀吉の政権は「皮多」と呼んでいたが
江戸時代なかばごろには京でも「穢多」と
呼ぶことが多くなる。
・・・
DJ KAZURU
ミュージシャン、DJ・ダンサー、レコード会社、キューバ旅行会社からの目線で、ティンバの歴史とその魅力を明らかにする待望のトークライブ・シリーズがスタート!以前、チェベレの相川等さんと行っていた「トーク・ティンクーバ」の発展系ですが、単発ではなく毎月開催とし、様々な視点でティンバの魅力を明ら..
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https://youtu.be/BELIZJu0ruM
2014年の過去動画ですが
六本木で思いきりダンスと音楽を味..
2/10 麻布トロピで久しぶりに
ティンクーバやります。
DJ KAZURU が昔作った
キレッキレのリミックス中心。
翌日が祝日なので
ゆっくりお楽しみいただければ幸いです
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La Tropi Azab..
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